IKH - 新知創造学際ハブ

誰も取り上げなかったモノの民俗学をやっています~大阪公立大学HIRC研究員 齊藤竹善さん

今年2月に開催された学際ハブ第7回研究会に大阪公立大学から参加した人文学学際研究センター(HIRC)研究員の齊藤竹善さんに、お話を伺いました。齊藤さんは大阪公立大学大学院文学研究科出身で、民話と賭博の民俗学を研究しています。

男性の顔写真

齊藤竹善さん

大阪公立大学大学院文学研究科 人文学学際研究センター(HIRC)研究員

研究テーマ「遊戯と笑いを中心とした民衆文化の民俗学的研究」

笑いと民話の民俗学

鬼と天狗

大学時代は哲学を学んでいました。フランス哲学研究者の金森修博士が考えた「亜人(あじん)」という言葉があります。人に準じるもの、人と似ているが異なるものという意味で、「人間とは何か」を人間と非人間の境界という視点から考えるための概念です。例えば、ユダヤ教の「ゴーレム(人造人間)」などがそれにあたります。

一方、民俗学では「異人」という概念が使われます。これは共同体の外の人、あるいは共同体内部にいても逸脱した性質を持つ人を指します。異人は広い概念で、鬼や天狗も含み、「亜人」に似ています。

「人間とは何か」を異人や亜人を通じて考えるため、大阪市立大学(現 大阪公立大学)の大学院で表象文化論を学び始めました。表象文化論は、芸術や文化のあらゆるジャンルの表現を研究対象にします。ここで、異人が持つ人間と異なる性質、中でも「鬼が透明であること」を調べていくうちに、鬼と天狗について興味深いことに気づきました。

古代の鬼は人の目には見えない存在と考えられていました。しかし、時代が下るにつれて、鬼は透明だという性質が薄れ、見える存在になってきます。鬼が目に見える存在として認識されるようになると、今度は鬼が透明になれるのは「隠れ簑(みの)」という宝物を持っているからだ、という説明が加えられるようになりました。隠れ簑は、江戸時代以前の文献や民間の儀礼でも、鬼の持ち物として認識されていました。

一方、天狗は人の目に見える異人で、時代にもよりますが、鬼とはある程度区別されていました。歴史上の文献においては、一般に天狗と隠れ簑を結びつけるような話は出てきません。ところが、20世紀以降口承で収集された民話では、なぜか隠れ簑は天狗の持ち物として語られるのです。『浮世夢助出世噺』は、天狗が隠れ蓑を持つと書かれる江戸期唯一の文献で、恐らく江戸期ころに天狗と隠れ蓑が結びつき始められたと考えられます。

赤鬼のイラスト

噺家の介在

どうして江戸時代に話が変わってしまったのでしょうか? ここで、現代の落語家に通じるプロの噺家(はなしか)の存在が浮上してきます。庶民文化が花開いた江戸時代には笑い話が流行しました。噺家は辻噺(つじばなし)と言って町中の交差点で人を集めて大道芸人のように笑い話をしていたほか、旅芸人としてさまざまな地域で笑い話を提供していたようです。恐らく『天狗の隠れ簑』も、噺家のレパートリーの一つだったことでしょう。噺家の介在によって物語が作り替えられ、簑は天狗の持ち物となったと考えられます。

私はこの『天狗の隠れ簑』という笑い話をテーマに研究を進めましたが、そのときに活用したのが噺本(はなしぼん)です。当時、都市部では噺家が記録したネタや、自作の笑い話などを記した噺本が出版されていました。くずし字で書かれ、専門家以外には読みにくいものですが、現在は多くの人が読めるようにテキストデータ化された大系書(『噺本大系』)が出版され、国立国会図書館などでデジタルデータが入手できるようになっています。それを網羅的に調査すると、江戸期の人々が鬼と天狗をどう認識していたのか、また、当時の笑いに関する価値観が見えてきます。

噺本に載っているのは、今の字数制限のあるSNSで投稿されるような短文ネタもあれば、長いお話もあり、現代の落語になった話などさまざまです。噺本として残されたことで、江戸期にどういった話が流行していたのか、どんな話がウケたのかなどを読みとることができます。ぜひ一度読んでみてください。

天狗の隠れ簑

ある男が、天狗から隠れ簑をだまし取ります。
この簑を被ると体が透明になるので、男がそれを使って盗みや悪さをしていたら、母親に簑を燃やされてしまいました。
男がその灰を体に塗ると、塗ったところが透明になったので、男はまた町に出て盗み食いをしました。
すると、灰が剥がれて口だけの化けものとなり、追いかけられて懲らしめられてしまったとさ。

天狗のイラスト

誰も研究してこなかった俗っぽいテーマを

噺本を調査するうちに、民衆が求める笑いや遊戯に関心を持つようになりました。俗っぽい営みを通じてしか、民衆の考え方は分からないのではないかと思ったのです。あまりに俗っぽいので、研究対象とされてこなかった遊び、具体的には笑いと賭博を研究しています。

遊びとモノ

かつて、法学者の江橋崇が麻雀牌の比較研究論を発表しました。麻雀牌の図柄のひとつ「イーソー(一索)」が徐々に変容を遂げたという内容です。

江橋は幾度となく、物質文化を基調とした遊戯研究の重要性を主張していましたが、やはりモノを通して人々がどう遊んでいたかを考えるというアプローチ法は重要だと思います。

麻雀牌が散らばったようすのイメージ写真
麻雀牌のイーソーのイラスト
イーソーの図柄

例えば、奈良時代に使われた遊具と思われる出土品がありました。道具は見つかっていてもルールは残っておらず、どのように遊んでいたのか分かっていませんでした。ルールは一般に口頭で伝えられ、文献に残りにくいからです。しかし、朝鮮半島に似た道具を使う「ユンノリ」という遊びがあり、その道具と似ていることから駒の動かし方などのルールを復元することに成功しました。奈良文化財研究所が再発見した古代の遊び「かりうち」です。

遊び方は口頭で伝えられるだけでなく、遊んでいる人々の間でローカルルールが生まれたり、改変されることがよく起こります。だからこそ研究題材として可能性があると思います。

賭博の民俗学

具体的には、どういうルールで賭博をするのか、どういう思考方法や戦術で賭博をするのか、そもそも賭博がどう構築されてきたのかを研究しています。これまで民俗学では信仰と結びつかない大衆文化の研究は少なく、私が知る限り民俗学者で賭博を専門的に扱った人はいませんでした。賭博の研究のためには、文献による過去へのアプローチの他に、実際に麻雀などギャンブルをやっている人にインタビューしたり、パチンコ店などの賭博場に行くこともあります。

以前調べたのは「トッパン」という、麻雀パイを使うブラックジャックのようなローカルゲームです。この遊びのルーツは、1930年代ころには中国で行われていた「十点半」という遊びです。「トッパン」と「十点半」の違いを調べることで、人々がこれらをどう伝えてきたかが分かります。例えば、日本においては麻雀文化における「ドラ」などの要素を取り入れて独自の変容が生じています。

実はこの遊びは、日本の作家の随筆などに中国で遊んだと記録されていたことから、中国から日本に伝わったものであることが明らかになりました。多くの人々は生活文化をわざわざ記録しないので、こうした随筆などが一級の資料になり得るのです。このように、遊戯の歴史を調べることは、民話や伝承を研究するときのアプローチと非常に似ています。

民俗学の研究姿勢

民俗学では、日本のことを海外と比較しながら研究することがあります。日本の民話でも、その元をたどると、中国や朝鮮半島などの伝承と共通する要素が見つかることはよくあります。もちろん、日本で語り継がれる中で独自のアレンジが加えられ、日本の民話として定着しているわけです。隠れ簑に似た透明マントのようなモチーフも、海外の物語に登場しますね。

民俗学は現在を調べると同時に過去も調べることが必要です。私たちが使っているあらゆる日用品には歴史があります。今、さまざまなモノがどのように使われているか、そしてなぜそのように使われているかは、過去を遡らなければ分からないこともあります。

民俗学と材料科学の学際研究の可能性

民俗学の中の民具研究は学際ハブと親和性が高いかもしれません。学際ハブの研究会に参加して話を聞きながら、例えばボードゲームなら盤面に残された擦り傷などを見て、どんな遊び方だったのか推察することができるんじゃないか、と考えていました。

青銅器の中の気泡の分布を調べることで、融かした金属を鋳型のどこから流し込んだのかが推察できるという話を聞いて、科学的な分析によって古代の人の生活が分かるというのはとても面白いなと思いました。

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